フランスから帰ってきました

こんにちは、クミです。8月7日に旅立った約2週間の旅から、20日深夜に無事戻りました。
今回の参加メンバーはラ・ゾーヌの5人(ナオミ・ジョー・ヨネ・イチコ・私:クミ)と、私の古い友人でラ・ゾーヌのロゴやCDのデザインなどを担当しているイラストレーターのシノブ、そしてファン代表で追っかけのタナコという、女子ばかり総勢7名。

 

今回の旅は、初めの2日間をオーベルニュの都クレルモン=フェランで過ごし、最後の3日間はパリで過ごしましたが、その間の9日夜~16日夜までの1週間 は「オブラック」と呼ばれる山岳地帯(オーベルニュ~マッシフ=サントラル)に滞在しました。農場と牧草地が果てしなく広がり、お伽話に出てくるような村々が点在するこのあたりこそ、バル・ミュゼットのルーツ、つまりキャブレットの故郷なのです。一見、北海道に似た景色ですが、そのスケールは断然違いまし た。

 

今回この地方を初めて訪れる私たちに、最良のプログラムを考えて提案してくれたのは、私のキャブレットの師匠ミシェル・エスブラン氏とその弟子(私の先輩)のファビエンヌ・マイユさん。彼らもまた、代々この地で家系を受け継いできたファミリーの末裔です。この二人のセッティングによって、私たちは数々の大変貴重な経験をさせていただくことになりました。
その全行程の記録は、また別な形で「旅日記」にしてアップする予定です。
それに先駆けて、このページでオブラックでのラ・ゾーヌの様子を一部ご紹介します。

 

8月9日夜

【カッソーの牛舎跡のステージ】

オブラックに入ったその日の晩早速、友人ファビエンヌが中心になって準備してくれたダンスパーティー会場での演奏がありました。
それはカッソーという村にある古い牛舎跡で、大きな石造りの蔵のような、体育館のような、とっても広い空間でした。この建物の一番奥に据えられた、干し草を運ぶ巨大な台車が今夜のステージです。
ステージ脇には大きな照明と、ナオミのためにシンセサイザーも用意してくれていました。こんな手作りの会場で演奏するなんて、なんて素敵!
テーブルには、地域のお手伝いの方たちが次々とご馳走やワインを運んでいます。そしてあたりが薄暗くなり始めた頃、近隣の村の住民たちが続々と集まり始めました。来場者は、大人も子供も含めて最終的には50人くらいになっていたと思います。後で知ったのですが、この日の私たちのステージのことが前日の地方新聞で紹介されていたらしいのです。

 

いよいよ開演。ステージに上がった私たちのことをミシェルとファビエンヌが紹介すると、会場に大きな拍手が巻き起こりました。
ゆっくり深呼吸をすると、干し草のにおいが鼻の奥いっぱいに広がりました。
メンバーそれぞれの目を見て会図を送り、演奏スタート!いつもと同じように精一杯の想いをこめて、一音一音丁寧に演奏しました。

 

徐々にスタートの緊張感がやわらいできたころ、私の頭にこの10年間の様々な場面がぐるぐると廻りはじめました。偶然手にした古いミュゼット音源を初めて 聴いた時のこと、アコーディオンに初めて触った時のこと、伴奏してくれとナオミに懇願した時のこと、ジョーがバンジョーを買ってきた日のこと、何度やって もうまく弾けずに悔し涙を流した日のこと、初めてミシェルからメールが届いた日のこと…。「とうとう、とうとうこの地までたどり着いたのだ」と、胸の底が 熱くなりました。

 

ふと見れば、客席に座っていた人たちが、一人また一人と席を立ち、踊り始めています…!
「ヤッター!!」
この旅の大きな目標の一つは、ミュゼット音楽と共に生きてきたこの地の人々が、私たちの演奏で踊ってくれることだったので、もう感無量です…!
それにしても老若男女問わず、サッと手を差し伸べ合って華麗なステップを踏み始めるのだから、何ともカッコイイじゃあないですか。その様子を見降ろしては惚れ惚れしながら演奏しました。

 

私たちのワンステージ目の後は、ミシェルのキャブレットと相棒のアコ奏者クロードによる演奏。すごい迫力、ブラボー!
そして彼らの後も、どこからともなく次々と奏者がやってきます。さっきまで呑んで騒いでいた近所のおじさんって感じの人がステージに上がって名演奏をして いて、ビックリしたりもしました。とにかく皆さん演奏がとてつもなく上手いのです…。やっぱり本場の演奏は素晴らしいです。

この土地で弾き継がれてきた ブーレやワルツ、ポルカ、そのどれをとっても、私たちとはノリが違うことを改めて思い知らされました。いや、ノリ以前にまずパワーが違う。話によると、昔 からこのあたりの男性はムキムキの大男たちが多いらしいのですが、私だって諦めるわけにはいきません。「よし、筋トレしなきゃ、筋トレ!」と強く思った次第です。

 

さて、ラ・ゾーヌの2ステージ目は、ミシェルとの共演です。私はキャブレットに、ヨネはアコーディオンに持ち替えました。
かつて札幌でも一緒にやった曲を幾つか披露しました。会場は大盛り上がりで、激しくブーレを踊る人が続出!皆そうとう飲んでるはずなのに、ケロっとして踊り続けています。恐るべき体力。う~ん、やっぱり筋トレか。いや、肝臓のつくりが違うのかもしれない…。

夜もとっぷり更けた頃ようやくお開きとなり、この建物のオーナーさんが「柱にサインしてくれ」と。しかも、日本語で書いてほしいとのリクエストでしたので、右の写真の様になりました。
背伸びして不安定な立ち位置から書いたので、ひどく汚い字になってしまいましたが、オーナーさんは大変喜んでいました。
そしてお別れの時。この地方では、挨拶代わりの頬へのキスは左、右、左と3回するのが鉄則なので、この日だけで一生分のキスをしました…。
それも含めて、何物にも代えがたい経験でした。


・・・という風に、写真入り旅日記を現在制作中です。完成にはもう少し時間がかかりそうですが、しばしお待ちくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。